エピローグの台詞がまだ言えない

起承転結のない人生

初めてはいつだってキミだ

 

2021.9.28 17:04 推しが結婚した。

 

 

5時、いつも通りに右下にある青い鳥のアイコンをタップした。

ルーティンのように何気なく押した虫眼鏡のボタンに並ぶ、「同性結婚」「櫻井くんと相葉くん」「結婚報告」「櫻葉結婚」。

 

状況が判断できなかった。

 

寝起きだったからなのかもしれない。心のどこかでまたTwitterでネタとして何が起こったのか、と軽く見ていたのかもしれない。

「結婚報告」をタップし、最初に目に飛び込んできたのは、親の顔より見たあの社屋の写真と、“嵐・櫻井翔相葉雅紀、結婚発表 💐 お相手はともに一般女性“という見出し。

 

ようやく自分自身の中で理解した。

結婚をしたのだと。

 

理解したその瞬間、スマホが握れなくなった。勝手に涙が零れ、手の震えが止まらなくなった。落ち着いた頃には、何故こんなに感傷的になっているのか自分で自分が分からなくなった。

 

 

私と嵐との出会いは、7歳の時だ。

TVでたまたま「山田太郎ものがたり」を見てめちゃくちゃかっこいい!結婚したい!となったのが御村くん(櫻井翔)だった。

徐々にクラスの中での嵐の人気は高まり、いつも遊んでる子達がみんな好きになった。

当時は、翔くんとニノ で人気を二分しており、推し被りを異常に嫌っていた私は(この頃から始まったらしい)唯一の相葉担になった。嵐の番組で行われる相葉くんの企画が、本当に大好きで家族に呆れられるほど見ていたり、相葉くんのソロを繰り返し見ていた。iPodで作ったプレイリスト本当に好きだった。

 

初めて自分のお金で買ったのは5×10のライブDVDだったし、初めてジャニーズで行ったコンサートはPopcornだった。

どうしてもアラフェスが見たくて当時の国立競技場に音漏れを聞きに行ったり、友達のお家に泊まりに行った時は夜更かしをして嵐のDVDやPVを見たり、嵐のカバーダンスをしたくて練習したり。カラオケに行ったら必ずFace Downの櫻井くんのモノマネを強いられたり。

小中学生の思い出は、常に嵐と共にあった。嵐のおかげでたくさん初めての体験をすることが出来た。

 

そして活動休止発表をした時には、好きになってから10年近く経っていた。

 

ここ2年の間に私の中にある 嵐 という存在は、大きいものであることを再認識させられていた。高校に上がり、ジャニーズと距離を置いていた時期はコンサートに行かなくとも、嵐の新曲が出るとなると片っ端から音楽番組をチェックし、嵐の番組は毎週録画、嵐の誰かが出るドラマも必ず見ていた。常にそれが当たり前かのように生活の傍には必ず嵐がいた。

特に去年の1年間は、嵐はFCを抜けた私でも楽しめるような活動が多かったと感じる。

コロナ禍で家にいることが多かった2020年、様々なジャニーズのアーティスト達のコンサートを、オンラインで見ることが増え、嵐もその中の一人だった。

アラフェスを見てる時、懐かしい気持ちと共に、もうタイムリミットが迫ってることを思うと、悲しくなった。アラフェスは1番楽しいコンサートなのに。そのはずなのに。この先の未来がチラついて少し、切なくなった。

他にもサブスクの解禁や、公式のSNSの開設やYouTubeの企画など、手軽に嵐を身近に感じられるコンテンツが増えて行った。

12/31に行われた ” This is 嵐 live ” も連動してYouTubeの事前企画があったり、本当は席があるはずだった所にモニターを設置して当日ファンを招待したり、そのLIVEの前は懐かしい企画をやったり(あの危険な某すごろくが復活していた…)

一旦の区切りとして彼らにとって満足のいく幕引きかは分からないけれども、確かにそこに大好きだった「嵐」が存在していて、好きになった時と同じように、キラキラ輝いてステージの上に立っていた。素敵だった。

 

こうして振り返って書いていても、「おめでとうございます」の気持ちに嘘偽りは無いし、心からそう思っているのには変わりない。

 

彼の人生が、今よりもっと素晴らしく豊かになりますように!

 

 

と、かなり自分語りの分量が多くなってしまった上、どうやって締めたらいいか分からなくなった。まあ、そもそもお気持ち整理ブログなのでこれにて締めたいと思う。

 

私もパレスホテル東京Sweets & deliのチョコレート、買おうかな

 

 

 

ps.この次の日にも、元秋葉原系48Gの推しが結婚しました。 結婚したのか、俺以外の奴と…

 

 

 

 

恋は甘くて苦い、2021.10.05 加筆修正